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プロローグ:リスト・リクト
街の中でも荒くれ者や無法者が集まる南地区。
そんなこの場所にもいくつか例外は存在する、例えば西地区の近くに店を構えるパン屋、ここの店主は心優しく、毎日の売れ残りをその日暮らしの生活をせざるを得ない子供たちに分け与えている。
その隣にある家具屋は、材木の余りを利用して遊具を作り、近所の広場に設置している。
そしてさらにその隣、南地区に建つ建物にしてはやや大きめの、とある老夫婦が営む宿もその例外の一つである。
「爺さん、すまねえな……俺みたいな人間に寝床を貸してくれるなんてよ……」
「いいんだよ、それでお前さん……これからどうするつもりだい?」
「……決めたよ、俺ァこの街で真面目に働く、今までみたいなゴロツキ生活はもう止めだ、なんとか仕事を探して、真っ当に生きるさ……爺さん、そんで婆さん……短い間だったが、あんたらのお陰で目が覚めたよ」
「そうかい、そうかい……ワシらにできることはこれっぽっちだが……アンタの幸せを祈っているよ」
そういって老人が取り出したのは、目の前の男の丈に合わせた上着であった、彼は胸に込み上げる熱いものが目から零れぬ様に大きく息を吸うと、それを受け取った。
「本当に何から何まで……そうだ、娘さんにもありがとうと伝えておいてくれ……最後まで、怖がられてたみてぇだが……」
「伝えておくよ、何せその上着を作るときに、うちの娘はよおく手伝ってくれとった」
「……爺さんや婆さんに似て、いい娘じゃねえか、大切にしてやんなよ」
そういいながら彼は上着に袖を通す、今感じる暖かさは、きっとこの上着が肌を守ってくれているからだけではないだろう。
「ほほ、あの子はワシらと血のつながりは無いが……、世界中のどの家族にも負けないくらいの絆があるとワシは思っておるよ」
「違えねぇや……しっかし、朝から姿が見えないようだが……?」
辺りをキョロキョロと眺めながら、彼はこの宿で過ごしている間、コソコソと視線を送り続けてきた少女の顔を思い出していた。
ありとあらゆる国から様々な人間が集まるこの街でも珍しい、薄っすらと七色に輝く真っ白な髪と、それに合わせたかのようにまるで空から降る雪のように儚げで透明感のある肌色をした、臆病で怖がりな小動物のような少女。
「ああ……最近は読んでおる本の影響か例の塔に興味があるようでな……いろいろ準備をしているようだ……全く、あそこは命の危険こそ無いと聞くが……あんな臆病な子が行くところでもないだろうに……」
「そいつは驚いた……そもそもあの娘、魔女だったのかい、そういや耳が尖っていたような……気づいてなかったよ」
ため息交じりに娘の心配を零す老人を背に、荷造りを終えた彼は立ち上がる。
「まあ、あの娘も変わろうとしてるんじゃあないのか?」
「そんな必要などないんじゃがの……」
「そう言ってやるなよ、ガキなんてのはいつか親離れするもんさ」
振り返り、老人に片手の平を見せ別れを告げる彼の視界の上方に、見覚えのある白い影が映った。
「あっ、あのっ……わたしっ……おじさんのこと……応援してっ……まひゅ!」
屋根の上に立ち、手作りであろう大きな旗をはためかせ、おそらく彼女なりの大きな声でこちらに向かってエールを送る小さな少女の姿がそこにはあった。
周囲からひっそりと聞こえる笑い声で、たちまち彼女の顔は真っ赤に火照り、そのままヘナヘナと崩れて俯いてしまう。
だが彼は決して笑わなかった、今目の前にいる少女の姿は、きっと近い未来の自分だ。
彼はそのまま振り向き、数日を過ごした宿を背に歩き出す。
「あぅ……やっぱりやめておけばよかった……わたしが誰かを元気づけようだなんて……」
目に涙を溜めて後悔を口にする少女の目線の先、立ち去っていく彼がゆっくりと手をあげ……そして手でサインを作る。
(そういや俺も好きだったなあ……あの物語……)
それは彼女にとって最高の返答、去り行く英雄が自らの手で守ったものへ送る、“君はもう十分に強い”という意味を込めたサイン。
「爺さん、あんたの娘は臆病なんかじゃないぜ、リスト・リクトっつったか……十分に強ぇんだ」
その日から、姿を現すときの常々の表情から『紅潮の魔女』と呼ばれる少女の決意は強く固いものとなり、弱さを隠せないながらもひた向きに努力していくのであった。
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